明けぬ闇 〜砂塵の迷図 B (お侍 習作の13)
 



          




 きっちりと閉じていなかったらしい襖の隙間から、隣りの間の仄かな明るさが細い帯となって差し入ってくる。白々とした明るさを映す雪見障子の向こうに、黎明が垂れ込めているのが分かる。数日ほど前、単独で敵地へ向かわんとする彼を見送った、あの朝の空と同じ青なのだろうと判る。
“…。”
 同じ衾の中で、同じ温もりにくるまれていて。このままじっとしていたら、目を覚まさないでいられたなら、もしかしてそのまま同じ“一つ”に溶け合えたのかもしれないと。そんなやくたいもないことをぼんやり思いつき、未練がましくもじっとしていたが。身体のほうが普段通りを選んでしまい、あっさり瞼が持ち上がる。少しほど体の節々が軋むけれど、起き上がって動き出せば、あっさりと払拭出来る程度のそれだと判るから、問題はない。
「…。」
 眸を伏せていた間は、匂いとそれから肌でだけ、此処にいるのだと傍らに居ると、確かに感じていられたのに。眸を開けると…不思議なもので。確かに見えてるその肌へ、だがそれでは足りず、手を伸べてそっと、触れていたくなる。
「…。」
 ゆっくりと規則正しく、深い呼吸を刻んでいることへ訳もなく安堵して。薄暗い中、何とか目を凝らし、その寝顔を飽かず眺めやる。男臭いその面差しが、どこか物憂げで、疲れてさえ見えるのはいつものこと。打って変わって、刀を握った時に見せる胆力の剛や、覇気の鋭さは、この身の一体どこに凝縮されているのだろうかとつくづく思う。…と。
「…ん。」
 小さく呻いてそのまま、自分を抱いていた腕が引かれた。寝相の変わりしなのついでにと、傍らの温みを懐ろのより深くまで掻い込もうとしているらしく。眠りの邪魔にならぬよう、敢えて逆らわないでいると。自分の四肢を優しく搦めとる屈強な肢体の感触に、肩口からこぼれて来た蓬髪が肌へと直に触れる擽ったさに、
「…。///////」
 少しほど身の裡が熱くなる。欲しい欲しいと駄々をこねた自分へ、情も熱も限りなく与えてくれた人。さんざ乱れたそのままに、どこぞへか流されてしまうのが怖くて怖くて。しゃにむにすがりついた自分を、どこへもやらぬと力強く抱きしめてくれた人。思えば、彼と出会ってからのこっち。少しずつの、だがずっと。この自分へと“人らしさ”を与え続けてくれた彼でもあって。
「…。」
 こんなときに不謹慎なとはさらさら思わなかったし、この世の名残りになんていう感傷なんかでもなかろうと思う。同様に、彼の側が突き放してでも拒まなかったのもまた、そんな理由からではなかろうて。強いて言うなら…酒に溺れた人間は現世の憂さから逃れたくて常に酩酊状態でいたいのだと、誰ぞから聞いたことがあったのをふと思い出し、
「…。」
 この男もまた、何かから逃れたくてそれで。情交の甘さというひとときの夢へ酔いたかったのだろうかと、ふと思う。今日にも迫った命懸けの大勝負から? それとも、そこでまた負うこととなるのだろう、人を殺す罪科の苦さや重さを振り払いたくて?
「…。」
 ややあって。それはないなと、苦々しい失笑に小さく口許をほころばせるキュウゾウで。そんな可愛げがあるのなら、そんな防衛本能が働くようなら、こっちにだって苦労はなくて。ぽそりと男の懐ろに顔を埋めながら、胸の奥で燻り始めた微熱に嘆息してしまう。
“…まことにな。”
 思えば、二言目には“お主を切るのは俺なのだ”と言い続けて来たのは、そんな大義を振りかざしてでもないと、自分には到底遂行出来なかったことだから、だったのかも知れない。

  ――― 死ぬな。

 言える訳がないし、言いたいとも思わない。わざわざ言わずとも判っている彼だと知っている。

  『死を大事と思うな。』

 薄っぺらな“美学”とやらを信奉した末に、死で名誉を守るだの言い出すような、死んでお詫びをなどという無責任極まりない勝手な逃避だの選ぶような、そんな愚者ではないと知っている。だが、そうしないその代わり、彼はあまりに重い荷を、その背へ負えるだけ負ってしまう困った性分をしている男だから。下らん策謀にわざわざ呑まれる酔狂を、ことさら真剣にやるような奴だから。ならば、この自分が守ってやるしかないではないか。つまらん相手にやられるなと、どうして俺がこんなところにまでついて来たのか判っているのかと。態度で示してやるしかないではないか。

  「…。」

 いまだ まざまざと思い出せるのは、あの公開獄門の場へと引き出されて来た姿を見た時の、得も言われぬ衝動だ。獄内に繋がれている間より隙もあろうぞと、ああして引き出されるギリギリまで粘った彼の目論み自体は、見事に的を得、成功しもしたものの。そして、最後まで諦めない男だくらいは重々知っていたつもりでいたから、しゃんとした姿を見て、むしろほっと安堵の息をつけたキュウゾウでもあったのだけれども。

  ――― 彼とのあまりの距離に…胸がじりと痛んだのも本当で。

 万が一にでも間違いがあったら? このまま、この男の存在が喪われたら? そんな“もしも”を初めて案じ。寒いとか怖いだとか、人斬りには要らないことまでもを植えつけられていることに、初めて気がつき、そして。かつての戦さ場で、そのまま逝くかというほどもの大きな怪我を負ってしまった時よりずっと、生きた心地がしなくて。胸がきりきりと締め上げられて、痛くて辛くて…切なくて。

  “…お前が、そうした。”

 金にもならず名声や栄誉も得られぬことと自分でわざわざ言っておきながら、それへと没頭している背中や横顔をばかり追っているうち。彼が示す様々な気概が、姿勢が、忘れかけていたものを次々と思い起こさせてくれもして。どんなに無謀でも、一度約定を交わしたことならば、確固たる信念の下に迷わないでやり通すこと。時に、情さえ踏み越えて、不器用さや頑迷さを笑われてもいいから、交わした誓約は守ること。今時の小利口たちに言わせれば、そんなものは子供の理屈、要は最後に笑えばいいと、そりゃあ醜く嘲笑するに違いなく。そんな様を見ていても、少し前までの自分は、そう、心は一向に痛まず、揺るがずでおり。今にして思えば、生きたまま、実は心だけ、既に死んでいたのではなかろうかとさえ思えてやまない。
「…。」
 死線を掻いくぐることよりも実はずっと難しい、生き抜くことを意識したのも。寒さに麻痺するより温もりを求める方が、大変なればこそ強くなれるということを知ったのも。自らの命以外に何も持たない身で勝ったとて、空しさしか得られぬのだということも。全部全部、この男がその身でもって植えつけたこと。人への執着、温もりへの安堵。小さきもののの健気な笑顔が、いかに貴重で大切か。想いの深さを抉られるはどんな生傷よりも堪えるのだということをまで。いつの間にやら覚え込んでいた自分に気がつき、愕然としたキュウゾウで。

  “だから…。”

 きっと。死なせはしない。本懐を遂げるまで、浮かぬ顔ばかりする、その胸の閊えを払いのけるまで。そうやって後顧の憂いをすべて蹴散らし、自分のものにするまでは、何があっても死なせはしない。
「…。」
 この愛しい温みを護るためなら何だってする。誰が立ち塞がろうと斬り裂いて、血路を開き、突き進んで見せる。だから、

  “お前は自分の信じる通りに進めばいい。”

 きっと必ず。道は開ける。この身を賭しても開いて見せるから…。




  〜Fine〜  06.12.07.〜12.17.



  *蛍屋での全員集合のタイムテーブルがちょっと混乱しておりまして、
   小説版との混合っぽいですが、
   シチロージさんたちが来てもう一晩過ごし、
   翌朝、いよいよの出立と相成った…ということにさせていただきました。

  *一応は書いておきたかった、
   “DVD本編”に沿った上での、
   終盤の一連のお話でございまして。
   この後と言ったら、〜〜〜な終焉へと突き進むのみな訳で。
   そっちはもうもう、素晴らしい作品さんたちを
   あちらこちらでお見かけしておりますので、
   ウチではあんまり触れないでおこうかなぁと。(チキンですんで…。)
   何か変なサイトに戻ることと思われますが、
   どか、お付き合いのほどよろしくです。
(苦笑)

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